翻訳と辞書
Words near each other
・ 加藤俊夫
・ 加藤俊子
・ 加藤俊彦
・ 加藤俊徳
・ 加藤保太郎
・ 加藤保憲
・ 加藤保男
・ 加藤信
・ 加藤信太郎
・ 加藤信夫
加藤信夫 (野球)
・ 加藤信幸
・ 加藤信行
・ 加藤信邦
・ 加藤修
・ 加藤修 (トレーナー)
・ 加藤修一
・ 加藤修一 (陸上選手)
・ 加藤修也
・ 加藤修平


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

加藤信夫 (野球) : ミニ英和和英辞書
加藤信夫 (野球)[かとう のぶお]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [か]
 【名詞】 1. addition 2. increase 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 
: [の]
 【名詞】 1. field 
野球 : [やきゅう]
 【名詞】 1. baseball 
: [たま, きゅう]
 【名詞】 1. globe 2. sphere 3. ball

加藤信夫 (野球) : ウィキペディア日本語版
加藤信夫 (野球)[かとう のぶお]

加藤 信夫(かとう のぶお、1917年4月2日〔- 戦死)は愛知県出身のプロ野球選手
==来歴・人物==
中京商業学校(現:中京大学附属中京高等学校)在学中、チームは甲子園に3回出場(1933年春1933年夏1934年春)したが、加藤自身は補欠だった〔。
中京商を卒業後、1936年専修大学に入学。しかし、同年7月に佐々木政の斡旋により大阪タイガースに電撃入団(このため、専大を僅か半年で中退せざるを得なくなった)。この入団の裏には滝野通則(後にプロ野球審判員)が契約不履行を犯し(タイガースと契約し選手登録も済んだが、許可なく法政大学に進学した)、職業野球聯盟から除名処分(ちなみに、滝野が除名第一号選手でもある)を受けたため、阪神の内野陣が不足した事情があったと言われている〔。
入団後は小島利男の入団・台頭や藤村富美男コンバート投手から二塁手へ)があった事も影響して、出場機会には殆ど恵まれなかった。選手としては18試合(捕手1試合、二塁手10試合、三塁手1試合)〔の出場にとどまった。一方で、裏方としてチームを支えた面もあり、1937年には青木正一と共に「打倒沢村」をモットーに打撃投手役を務めた。その練習法とは、通常の投球位置の1m手前から投げるという当時では斬新な物だった〔げんまつWEBタイガース歴史研究室 〕。練習の甲斐があって、タイガースはこの年のペナントを制した。
1938年1月応召され、戦死(没年月日、死没場所は不明)した。東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、彼の名前が刻まれている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「加藤信夫 (野球)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.